1979年から1981年にかけて、伝説のオーディション番組「スター誕生!」に三度挑戦した一人の少女がいました。
その少女こそ、後に昭和を代表する歌姫となる中森明菜さんです。
初出場時(1979年)は審査員の松田トシ対策で、秘蔵っ子(岩﨑宏美)の曲「夏に抱かれて」を選びましたが 「表情に若さがない。あなたはもっと明るい曲のほうがいい。歌は上手だけれど、曲が合っていない」と評されて、まさかの不合格。
2回目(1980年)は若々しさを出すために「青い珊瑚礁」(松田聖子) を選曲しましたたが、松田トシさんは「歌は上手いけれど、顔が幼いから大人の歌は無理。童謡でも歌ったら?あなたはまだ子供っぽいのよ」と今度は初回出場時とは真逆な評価をします。
これに対し、明菜さんは「童謡なんて歌いません!」と反論したことで有名な回です。
一見すると厳しい評価にも聞こえるこの発言ですが、そこには日本音楽界を支えた声楽家ならではの深い考えが隠されていたのかもしれません。
今回はその辺を掘り下げます。
中森明菜がスター誕生で受けた厳しい評価の真意とは?
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中森明菜さんが「スター誕生!」に初めて出場したのは、まだ13歳頃のことでした。
当時から歌唱力には高い評価がありましたが、審査員の松田トシさんは合格には慎重な判断を下しました。
松田トシさんが見ていたのは、単なる歌唱力だけではなく、歌手として成長するための時期や環境だったのです。
現在では、中森明菜さんを不合格にした審査員として語られることもありますが、松田さんは決して才能を否定したわけではありませんでした。
むしろ「童謡でも歌っていたら」という言葉には、幼い声質や表現力を生かしながら、基礎から音楽を学んでほしいという教育者としての視点があったと考えられます。
実際に中森明菜さんは、その後3度目の挑戦で「夢先案内人」(山口百恵)を歌い、松田トシさんから「すばらしい。あなたは歌手になります。この点数は文句なし。あなたの歌は心に届く」と称賛され、番組史上最高点(392点)での合格を勝ち取りました。
そして1982年にデビューすると「少女A」「セカンド・ラブ」「飾りじゃないのよ涙は」など数々の名曲を世に送り出しました。
中森明菜と松田トシを結ぶ童謡への深い関わりとは?
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松田トシさんは、東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)を卒業した、当時としては最高峰の音楽教育を受けた歌手・声楽家でした。
戦前、戦中、戦後という激動の時代を生き抜きながら、クラシックから童謡、時局歌謡、流行歌まで幅広い分野で活躍しました。
特に1949年から約15年間、NHKラジオの人気番組「うたのおばさん」として子供たちに歌を届けた功績は、日本の童謡文化に大きな影響を与えました。
また、1947年には藤山一郎さんとのデュエット曲「白鳥の歌」(作詞・若山牧水、作曲・古関裕而)を吹き込み、大きな反響を呼びました。
1954年には「村の娘」(作詞:藤浦洸、作曲:古関裕而)でNHK紅白歌合戦に初出場。
その時の対戦相手は、東京音楽学校の大先輩であり、日本を代表する歌手だった藤山一郎さんでした。
さらに1971年には、第一回童謡賞特別賞を受賞するなど、松田さんにとって童謡は単なる一分野ではなく、生涯をかけて向き合った音楽だったのです。
中森明菜が受け継いだ藤山一郎・二葉あき子の音楽の系譜とは?
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松田トシさんの音楽人生をたどると、そこには藤山一郎さんや二葉あき子さんへと続く、日本音楽界の大きな流れが見えてきます。
藤山一郎さんは東京音楽学校を首席で卒業した声楽家でありながら、幼少期は童謡歌手としても活躍した人物でした。
また、二葉あき子さんも東京音楽学校で学び、後に「夜のプラットホーム」など数々の名曲を残した昭和歌謡の大スターです。
二葉さんは教育実習で故郷・広島の女学生たちに童謡を教えた経験もあり、戦時中には童謡「めんこい仔馬」をヒットさせました。
つまり、松田トシさんが中森明菜さんに語った「童謡」という言葉は、決して低い評価を意味するものではありませんでした。
藤山一郎さん、二葉あき子さん、松田トシさんに共通するのは、童謡を出発点として、歌の心や表現力を育てていくという考え方です。
東京藝術大学では、松田さんの功績を称えて「松田トシ賞」が創設され、現在も声楽科の優秀な学生に授与されています。
これは、彼女が日本の歌唱教育に残した大きな足跡の証でもあります。
中森明菜さんの才能を見抜きながらも、成長の可能性を見守った松田トシさん。
その一言は、昭和音楽史をつなぐ重要なメッセージだったのかもしれません。
まとめ
- 中森明菜さんがスター誕生で受けた「童謡でも歌っていたら」という言葉は、才能を否定するものではなく、成長を願った音楽教育者としての視点が込められていました。
- 松田トシさんは、東京音楽学校出身の声楽家として、戦前から戦後にかけて日本の音楽文化を支えた存在でした。
- 「うたのおばさん」として童謡を広めた松田さんにとって、童謡は歌手育成の原点ともいえる大切な分野でした。
- 藤山一郎さんや二葉あき子さんも童謡と深く関わっており、日本の歌の伝統は世代を超えて受け継がれています。
- 中森明菜さんの30年ぶりのMステ出演をきっかけに振り返ると、昭和から令和へ続く日本歌謡の歴史には、見えない音楽の絆が存在しているのです。
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