藤山一郎の卒業成績は52人中51番!52番は岡本太郎?

「国民歌手」として日本音楽史に名を刻んだ藤山一郎さん。

そんな彼が、学生時代は卒業成績52人中51番だったと聞けば、多くの人が驚くのではないでしょうか。

さらに、最下位の52番だったのは、後に世界的芸術家となる岡本太郎でした。

なぜ二人は成績が振るわなかったにもかかわらず、それぞれの分野で頂点に立つことができたのでしょうか。

今回は、藤山一郎さんと岡本太郎さんの学生時代に秘められた意外なエピソードを紹介します。

目次

藤山一郎の卒業成績は52人中51番だった!

藤山一郎(本名・増永丈夫)さんは慶應義塾幼稚舎から普通部へ進学しました。

しかし、学生時代の彼は勉強一筋ではありませんでした。

音楽への情熱はもちろん、ラグビーにも熱中し、学業よりも好きなことに全力を注いでいたのです。

その結果、卒業時の成績は52人中51番という意外な順位でした。

「後の国民歌手がほぼ最下位だった」という事実は、現在でも語り継がれる有名な逸話です。

しかし、この順位だけを見て藤山一郎さんを「勉強ができなかった人物」と判断するのは早計です。

実際には、学校の授業とは別に声楽やピアノを学び、将来の音楽家としての基礎を着実に築いていました。

つまり、学校の成績よりも、自分が本当に打ち込める分野へ努力を集中させていたと言えるでしょう。

藤山一郎の52番は岡本太郎だった!

さらに驚くのは、卒業成績最下位の52番が、後に「芸術は爆発だ!」で知られる岡本太郎だったことです。

藤山一郎さん自身も、このエピソードを回想録で紹介しています。

つまり当時の卒業順位は、

  • 51番…藤山一郎
  • 52番…岡本太郎

という並びでした。

現在の感覚では信じられない組み合わせですが、日本を代表する音楽家と芸術家が、学校では最下位争いをしていたのです。

ところが卒業後、二人はそろって芸術の道へ進みます。

藤山一郎さんは東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)へ、岡本太郎さんは東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)へ挑戦し、ともに現役合格(当時は「直進」などと表現)を果たしました。

この事実は、「学校の順位だけでは、その人の将来は決まらない」ということを物語っています。

藤山一郎は東京音楽学校を首席卒業!

普通部では51番だった藤山一郎さんですが、音楽の世界ではまったく別人でした。

東京音楽学校へ進学すると、持ち前の努力と才能を存分に発揮し、卒業時には首席という最高の成績を収めます。

まさに学生時代の成績を覆す「大逆転劇」でした。

在学中は本格的な声楽を学び、その実力は教師や音楽関係者からも高く評価されていました。

卒業演奏でも絶賛され、将来の日本を代表する声楽家になると期待されていたほどです。

その後は歌手として『丘を越えて』『酒は涙か溜息か』『青い山脈』など数々の名曲を歌い、日本初の本格的な男性流行歌手として一時代を築きました。

慶應普通部では51番、東京音楽学校では首席。

この劇的な変化は、自分に合った環境で努力を続けることの大切さを教えてくれます。

まとめ

  • 藤山一郎さんは慶應義塾普通部を52人中51番で卒業した人物です。
  • 卒業成績52番(最下位)は、後に世界的芸術家となる岡本太郎さんでした。
  • 二人とも現役で上野の専門学校に進学し、それぞれ芸術の道を歩みました。
  • 藤山一郎さんは東京音楽学校を首席で卒業し、国民歌手として大成しました。
  • 学生時代の成績だけでは、その人の才能や将来を測れないことを二人の人生が証明しています。

前回の記事は以下↓をご覧ください。

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