長年にわたり昭和歌謡を支え続けた二葉あき子さんに、ある日突然“声の異変”が訪れました。
それは単なる疲労ではなく、歌手としての人生を揺るがす深刻な違和感でした。
舞台に立ち続けてきた彼女が感じた恐怖と葛藤とは、どのようなものだったのでしょうか。
自伝に綴られたその瞬間から、歌手生命の危機に迫ります。
二葉あき子の声に起きた突然の異変!

二葉あき子さんは、ある日を境に「声が思うように出ない」「高音が苦しい」という異変に気づきます。
長年の経験から、これは単なる疲れではないと直感したといいます。
歌手にとって声は生命線であり、その異変は「自分の存在が揺らぐ恐怖」として迫ってきました。
舞台での違和感は日に日に強まり、歌うたびに不安が増していく状況が続きます。
そして1950年、大ヒットした「水色のワルツ」の最後のフレーズ“涙の後をそっと かくしたいのよ”の高音部分を歌っている瞬間、突然ノドに電気がショートしたときのような強烈なショックを受けたといいます。
冷や汗が背中から伝わり、あわててキーを落として歌うも、目がぐるぐる回り、今にも倒れそうになったそうです。
二葉あき子が受けた診断と衝撃とは?

「先生、私もう歌えません!」と涙をいっぱい浮かべながら二葉さんは同門の先輩歌手・藤山一郎さんに相談します。
すると、藤山先生はとても心配をされ、知り合いの偉い医学博士のいる東京逓信病院を紹介してくださり、ノドの異変の原因を確かめるため、診察を受けることになります。
そこで医師から告げられたのは、「とてもきれいな声帯です。異常は見当たりません」と異常のないことを告げられました。
その後、どこの病院でも異常は認められないまま二年が経過しましたが、1952年の秋には歌おうとするとノドが激しくけいれんし、まったく歌が歌えなくなってしまいました。
その現実は、二葉さんにとって計り知れない衝撃でした。
長年積み上げてきた歌手人生が、一瞬で崩れ落ちるかもしれないという不安が二葉さんの胸を締めつけます。
二葉あき子が抱えた葛藤とは?

二葉あき子さんは「歌えない自分」と向き合う苦しい日々を過ごします。
ステージに立てない焦燥、声を失う恐怖、そして歌手としての誇りとの葛藤——。
自伝には、彼女がどれほど深く悩み、どれほど強く歌への想いを抱いていたかが綴られています。
声の異変は、単なる身体の問題ではなく、人生そのものを揺るがす出来事だったのです。
歌手の命は移ろいやすい。
歌えなくなると、あっという間に世間から忘れ去られてしまう——。
その不安から逃れるため、二葉さんは当時、有名人や芸能人が参加する「チャーチル会」という絵の会に入会し、大好きな絵に没頭することで歌えぬ苦しみを忘れようとしました。
まとめ
二葉あき子さんの突然の声の異変は、歌手としての人生を根底から揺るがすものでした。
しかしその経験は、彼女がどれほど歌を愛し、どれほど真剣に向き合ってきたかを示す証でもあります。
声を失う恐怖と向き合いながらも前に進もうとした姿は、今も多くの読者の心を打ちます。
彼女の物語は、声という“見えない宝物”の尊さを改めて教えてくれるのです。






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