東山紀之が社長退任を迎え、彼の歩みを振り返るシリーズの第3弾として、今回は東山が深い敬意を寄せた森光子さんに焦点を当てます。
森さんは国民栄誉賞を受賞した名女優であり、東山が若い頃から親交を重ねた人物です。
その森さんが昭和51年のNHK『思い出のメロディー』で語った「南方慰問」の体験は、戦争の時代を生きた人々の記憶を鮮烈に伝えるものでした。
そして番組では、慰問先で出撃した隊員たちの“奇跡の再会”が実現します。
今回は、東山と森さんの関係性を軸に、この感動的なエピソードをたどります。
東山紀之が敬愛した森光子の人間力!
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東山紀之さんが森光子さんと親交を深めたきっかけは、1986年の紅白歌合戦でした。
少年隊が初出場した際、審査員として出演していた森さんが東山に声をかけたことから交流が始まったとされています。
森さんは若い世代にも分け隔てなく接し、舞台や芸能の世界に対する真摯な姿勢を持ち続けた人物でした。
東山が森さんを「敬愛した」と語る背景には、彼女の 誠実さ・温かさ・人を包み込むような優しさ があったのです。
森さんは国民栄誉賞を受賞するほどの国民的女優ですが、その華やかな経歴の裏には、戦時中の南方慰問という重い体験がありました。
東山が尊敬したのは、まさに 華やかさと過酷な時代を生き抜いた強さを併せ持つ人間力 だったのです。
東山紀之が敬愛した森光子の南方慰問の記憶とは?
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昭和51年に放送された第8回NHK『思い出のメロディー』。
森光子さんは相川浩アナウンサーと共に司会を務め、番組では戦時歌謡特集が組まれていました。
その中で森さんは、インドネシア・セレベス島のケンダリー基地での慰問体験を語ります。
森さんは、出撃を翌日に控えた若い航空隊員たちを前に歌を届けました。
そして「もうこの方たちは二度と帰ってはいらっしゃらない人たちだ」と聞かされ、内地から持参した小さな人形を隊員の腰に糸で縫い付けて差し上げたと涙ながらに語りました。
当時、安全ピンはなく、森さんは針と糸で縫い付けたといいます。
この証言は、戦争の悲しみと、慰問に立った一人の芸能人の 深い祈りと覚悟 を伝えるものでした。
東山紀之が敬愛した森光子の奇跡の再会!
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森さんが慰問の記憶を語り終えると、相川アナウンサーが「現在、生きていらっしゃる方がいます。どうぞお入りください!」と呼びかけます。
すると、ケンダリー基地で出撃した航空隊の 奇跡的な生還者 がステージに姿を現したのです。
森さんは涙をこらえながら「ご無事でお帰りになってたんですね。うれしゅうございます」と語り、ステージは感動に包まれました。
生還者は各部隊でそれぞれ一人であり、その生存者が複数人ステージに現れ、中には森さんが慰問の際に渡した「ご無事をお祈りします」と書かれた写真を大切に持ち続けている方がいました。
さらに、当時アコーディオンで伴奏を務めた演奏者も登場し、森さんは「花言葉の唄」を歌唱。
「白い花なら別れの涙〜」の歌詞に合わせて、画面には生還した兵士の出撃前の写真が映し出され、視聴者の胸を強く揺さぶりました。
そして森さんは軍歌について、
「戦地にまいりまして、出撃を明日にした若い方たちが喉も張り裂けんばかりに、がむしゃらにお歌いになるのを見て、軍歌は何と悲しいものなんだろうという思いを強くいたしました。「同期の桜」という歌も私にはそう思えてなりません。あの当時、私の歌を聴いてくださった人で二度と祖国へ帰れなかった方々のために歌ってくださいませんか」
と語り、最後は「同期の桜」を会場全体で合唱。
戦争の記憶を未来へつなぐ 深い祈りのステージ となりました。
まとめ
- 東山紀之さんは森光子さんの誠実さと人間力を深く敬愛していました。
- 森さんは南方慰問で若い隊員たちに歌を届け、祈りを込めて人形を縫い付けて渡しました。
- 昭和51年のNHK『思い出のメロディー』では、慰問先の隊員と奇跡の再会が実現しました。
- 「花言葉の唄」や「同期の桜」の歌唱は、戦争の記憶を未来へ伝える象徴的な場面となりました。
- 東山さんと彼が敬愛した森さんの関係性を軸に、森さんの南方慰問の体験と生還者との再会を語ることで、歴史と感情が交差し、戦争の記憶を現代に蘇らせ、深い祈りを呼び覚まします。
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