2026年8月、人気YouTuberのヒカルさんが明治座で落語家としてデビューすることが発表され、大きなトレンドとなっています。
その師匠として今まさに世間の注目を集めているのが、落語家の立川志らく氏です。
辛口コメンテーターとしても知られる志らく氏ですが、実は業界内では誰もが認める「昭和歌謡博士」というもう一つの顔を持っています。
そんな彼が「日本の歌謡史における最高峰」と崇拝し、狂気的とも言える激烈な愛を注ぎ続ける伝説の歌姫が二葉あき子さんです。
今回は、ヒカルさんの師匠・立川志らく氏が人生を捧げて愛するレジェンド歌手、二葉あき子の知られざる魅力とその偉大な足跡に迫ります。
立川志らくが「昭和歌謡博士」と呼ばれる意外なプロ顔負けの素顔とは?

立川志らく氏といえば、鋭い語り口の落語やテレビ番組での切れ味鋭いコメンテーターとしての印象が強いですが、実は映画や昭和歌謡に対する知識はプロの評論家も真っ青になるほどの領域に達しています。
自他ともに認める「昭和歌謡博士」であり、かつてテレビ東京系で放送されていた伝説の歌番組『なつかしの歌声』などの貴重なアーカイブ映像を熱心に研究していることでも有名です。
BSテレ東の『武田鉄矢の昭和は輝いていた』などの番組に出演した際には、若手落語家たちと共にディープすぎる昭和歌謡の知識と熱量を披露し、視聴者を驚かせました。
志らく氏にとって昭和歌謡は単なる趣味ではなく、自身の落語の芸風や表現力にも深く影響を与えている、人生に欠かせないインスピレーションの源泉なのです。
立川志らくが激烈に推す歌姫・二葉あき子への狂気的な愛と名曲とは?

そんな昭和歌謡博士である志らく氏が、最も激しく心を奪われ、熱烈にプロモートし続けているレジェンド歌手こそが二葉あき子さんです。
志らく氏は彼女の歌声を「ただ明るいだけではない、都会的でインテリジェンスを感じさせる退廃的な魅力(デカダンス)がある」と大絶賛しています。
特に志らく氏がテレビ番組などで熱弁を振るうのが、昭和25年の名曲『バラのルンバ』の貴重なステージ現存映像です。
モダンなドレスに身を包み、気品と哀愁を漂わせながら歌う彼女の姿に志らく氏は深く心酔しています。
さらに、戦時中に一度は発売発禁処分を受けながらも戦後に大ヒットを記録した『夜のプラットホーム』を「日本歌謡史の最高傑作」と位置づけ、昭和のモダンと切なさがすべて詰まった彼女のボーカルを今なお熱狂的に支持しています。
立川志らくを虜にしたレジェンド歌手・二葉あき子「光と影」の生涯

志らく氏がここまで人生を捧げて崇拝する二葉あき子さんとは、一体どのような生涯を送った人物なのでしょうか。
彼女の人生は、まさに昭和の「光と影」を体現した劇的なものでした。
当時の歌謡界では極めて異色である旧制東京音楽学校(現・東京藝術大学)を卒業した超エリートでありながら、戦時中には特攻隊員との悲しい別れや、故郷・広島での原爆遭遇という壮絶な苦難を経験しています。
戦後は『NHK紅白歌合戦』の初期を大御所として支え、時代の移り変わりとともに高音から深みのある低音へと声質が変化していく引き際の美学も見事でした。
晩年は潔く芸能界を引退して広島へ帰郷するなど、その凛とした生き様すべてが、志らく氏をはじめとする多くの人々を惹きつけてやまないレジェンドたる理由なのです。
まとめ
- 立川志らく氏は「昭和歌謡博士」の顔を持つ: YouTuberヒカルさんの師匠として話題の志らく氏は、プロ顔負けの知識を持つ昭和歌謡の激烈な愛好家です。
- 二葉あき子の『バラのルンバ』や『夜のプラットホーム』を熱狂的に支持: 彼女の持つ都会的な気品と哀愁、現存する歌唱映像の素晴らしさをメディアで度々熱弁しています。
- 二葉あき子さんは激動の昭和を生き抜いた唯一無二のレジェンド: 東京藝大卒のエリートであり、原爆遭遇などの壮絶な「影」の歴史を背負いながら、戦後の紅白を支えた偉大な歌姫です。
当ブログでは、立川志らく氏がそこまで深く惚れ込んだレジェンド歌手・二葉あき子さんの知られざる生涯を、連載シリーズとして特集しています。
旧制東京音楽学校(現・東京藝大)時代のエリートエピソードから、特攻隊員との涙の別れ、原爆の記憶、そして晩年の広島帰郷と筆者自身による貴重な「交流記」まで、彼女の「光と影」の物語をどこよりも深くひも解いています。
以下の記事から順次ご覧ください。


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