二葉あき子がフランチェスカの鐘を朗読!広島で軍歌を解禁した日の真実とは?

戦前・戦後の日本歌謡史を彩った二葉あき子さん。

広島に帰郷された晩年、筆者はご家族の依頼を受けてご自宅を訪ね、歌や映像を通じて歌心を保つお手伝いをしていました。

その中で、二葉さんが「フランチェスカの鐘」の台詞を朗読し、さらに軍歌を自ら歌われた瞬間に立ち会うという、筆者にとって忘れがたい出来事がありました。

それは、昭和歌謡史の深層に触れると同時に、広島という土地ならではの重みを感じる体験でもありました。

本稿では、その日の出来事を交流記として記録し、当時の文化的背景とともに振り返ります。

目次

二葉あき子が広島で見せた素顔と歌心!

二葉あき子さんが広島に帰郷された後、筆者はご家族から「歌う機会を作ってほしい」と依頼を受け、しばしばご自宅を訪問していました。

二葉さんは引退後も歌心を失うことなく、発声を続けることを大切にされていたため、歌や映像を通じて当時の記憶をよみがえらせる時間はとても喜ばれていました。

また、家の中に籠りがちにならないよう、筆者の車で平和公園や江田島の海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校)へお連れすることもありました。

桜の名所、そして「同期の桜」の由来となった桜のある場所として知られるこの地で、筆者の母らと合流し、古鷹山を背景に記念撮影をしたことは、戦前・戦後歌謡をリアルタイムで聴いてきた世代にとって大きな感激の瞬間となりました。

二葉あき子が朗読した「フランチェスカの鐘」の台詞!

本人出演カラオケ映像の前で『水色のワルツ』を歌う二葉あき子さん(広島市内のカラオケボックスにて)

ご自宅近くのカラオケボックスに同行した際、二葉さんは「ここは素人も来るの?」と問いかけられました。

大正生まれのスターらしい感覚で、レコーディングスタジオと混同されていたのかもしれません。

筆者が「玄人では先生が初めてだと思います」と返すと、少し驚かれた様子でした。

そこで通信カラオケを使い、「古き花園」「フランチェスカの鐘」「水色のワルツ」などを一緒に歌わせていただきました。

特に印象的だったのは、1948年発売の高杉妙子版「フランチェスカの鐘」に収録されている台詞を、二葉さんが淡々と朗読された瞬間です。

これは、オリジナル歌手による台詞朗読を目の前で聞くという極めて貴重な体験で、しかも本人が出演するカラオケ映像の前でお歌いになるというのもでした。

カラオケが解禁されたことも重なり、筆者にとって忘れられない場面となりました

二葉あき子が軍歌を解禁した日!

軍歌を解禁し『父よあなたは強かった』を歌う二葉あき子さん

二葉さんは自伝で「軍歌は歌わない」と明言されていました。

しかし筆者が、「軍歌は悲惨な歴史を知るための文化遺産として歌い継ぐ意味があるのでは」と問いかけると、二言返事で『そうね』と受け入れられたのです。

その直後、二葉さんはご自身が女性ソロパートで吹き込んだ「父よあなたは強かった」(1938年)、そしてコロンビア歌手と共唱で吹き込んだ「愛国行進曲」(1937年)をマイクを手に取り朗々と歌われました。

一方で、古関裕而の名曲「海の進軍」はご記憶にないのか、筆者がいくらマイクを近づけても歌われることはありませんでした。

広島という土地で、オリジナル歌手による鎮魂歌の台詞朗読と軍歌の歌唱を同時に体験したことは、筆者にとって大きな学びと感動となりました。

まとめ

  • 二葉あき子さんは帰郷後も歌心を大切にされていました。
  • フランチェスカの鐘」の台詞朗読は極めて貴重な一次体験でした。
  • 軍歌を歌わない方針を転じ、筆者の問いかけを受け入れられました。
  • 広島での体験は昭和歌謡史の深層を知る重要な記録となりました。

前回の記事はこちら↓をご覧ください。

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