南方収容所での生活は、飢餓や病だけでなく、文化の違いによる緊張が常に漂っていました。
その極限状態の中で、昭和歌謡の巨星・藤山一郎は、英軍将兵の前で民謡を歌うという特異な経験をしています。
一見すると心を和ませる行為のように思えますが、その場では予想外の抗議が起こりました。
なぜ歌が問題になったのでしょうか。
当時の状況と一次資料をもとに、その背景を探ります。
藤山一郎はなぜ英軍の前で歌うことになった?
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藤山一郎が収容されていた南方の収容所では、兵士たちの精神状態が極度に不安定でした。
英軍側もまた、捕虜の扱いに苦慮しており、収容所内の空気を和らげるために歌の力を必要としていたのです。
そのため、歌手として知られていた藤山一郎に対し、英軍将兵の前で歌を披露するよう依頼がありました。
しかし、この状況は単なる慰問ではありませんでした。
捕虜という立場でありながら、敵軍の前で歌うという行為は日本兵に複雑な感情を呼び起こすものでした。
「敵に媚びているのではないか」「捕虜としての誇りを失うのではないか」という思いが、極限状態の中で膨らんでいったのです。
藤山一郎は何を歌い、なぜそれが問題に?
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藤山一郎が歌ったのは、イギリス民謡の「庭の千草」や「旅愁」などやフォスター名曲集でした。
民謡は英軍兵士たちにとって故郷を思い出す特別な歌であり、心の支えとなる存在です。
そして一曲歌い終わるごとに大きな歓声と拍手が起こりました。
しかし、それらの民謡はイギリス・スコットランドやアメリカの民謡であり、アイルランド出身の将兵(ケアー大尉)の不満を呼んだのです。
さらに、英軍将兵の前で歌うという行為は、捕虜としての立場を曖昧にし、「敵に迎合している」と受け取られる危険性がありました。
極限状態では、わずかな行動が誤解を生み、感情の爆発につながります。
その後、藤山一郎にはケアー大尉から、「なせアイルランドの歌を締め出すのか」と抗議の声が上がったのです。
藤山一郎は抗議をどう受け止め、どう行動した?
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抗議を受けた藤山一郎は、「なるほど、そうだったのか」とイギリス国内のデリケートな国民感情にそこであらためて気づかされたといっています。
アイルランドを軽視したつもりはなかったものの、それまで日本ではイギリス民謡といえば主としてスコットランドの歌ばかりが導入され、そこまで気づかなかったようです。
そこで、翌日から早速アイルランドの歌である「ダニーボーイ」を聴かせると、昨日までムッとしていた英国将校たちが大拍手をし、藤山の歌は彼らの間で評判となりました。
また、藤山一郎は歌を「敵に媚びるため」ではなく、極限状態で心を平静に保つための手段として捉えていました。
その真意が全ての兵士たちに伝わることで、緊張した空気は次第に和らいでいきました。
まとめ
- 英軍は収容所の空気を和らげるために藤山一郎の歌を求めました。
- 民謡でも様々な国発祥の歌があり、選曲によって将兵の不満を呼ぶことがあります。
- 極限状態では小さな行動が大きな感情の波を引き起こします。
- 藤山一郎は英国軍大尉の求めからアイルランドの歌「ダニーボーイ」などを歌いました。
- 歌は敵への迎合ではなく、人の心を平静に保つための手段として重要な役割を果たしました。
▼前回の記事(第23弾)はこちら↓をご覧ください。
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