淡谷のり子さんといえば、ブルースの女王として知られる昭和歌謡界の大スターです。
しかし、レコード歌手として歩み始めた若い頃には、録音現場で思いがけない苦労を経験していました。
最初の吹き込みは「久慈浜音頭」(デビュー曲)、そして2曲目に挑んだのがジャズの「夜の東京」でした。
慣れないリズムに苦戦する淡谷さんを、バンドマンたちは笑い、ディレクターからも厳しい言葉が飛び出します。
今回は、初期の吹き込みにまつわる苦難と、母親が思わず涙を流した意外なエピソードを紹介します。
淡谷のり子が初期の吹き込みで苦戦!ジャズ「夜の東京」とは?

淡谷のり子さんがポリドールで最初に吹き込んだレコードは、新民謡の「久慈浜音頭」(作詞:松村又一、作曲:湯山光三郎)でした。
その次に録音したのが、ジャズの「夜の東京」(作詞:加奈木隆司、作曲:井田一郎)です。
それまでクラシックを中心に歌ってきた淡谷さんにとって、ジャズの録音は大きな挑戦でした。
クラシックの場合は、前奏が終われば歌い出せるようになっています。
しかし、ジャズはリズミカルで、歌い出すタイミングをつかむことが難しかったのです。
何度も録音を繰り返すうちに、バンドマンたちは妙な笑いを浮かべ始めました。
さらにディレクターからは、「君、それで音楽学校を出たというのかね」と厳しい言葉まで浴びせられます。
淡谷さんは、すっかりしどろもどろになってしまいました。
5回もやり直し、6回目でようやく合格。
通常なら約1時間で終わる録音に、2時間もかかり、終わったときには汗びっしょりだったといいます。
淡谷のり子がバンドマンの嘲笑を克服!ジャズのリズムをつかんだ方法とは?

録音に失敗した淡谷さんは、帰りの電車の中でも、どうすればうまく歌えるのかを考え続けました。
電車を降りてからも、家まで歩きながら歌を口ずさみ、何度も試してみたそうです。
そのとき、ふとあることに気がつきました。
「踊りの調子でいったらいいんだ」
ジャズのリズムを頭で理解しようとするのではなく、踊るような感覚で身体に覚えさせればよいと気づいたのです。
道を歩きながら拍子を取り、歌ってみると、ようやくリズムがつかめました。
そして次の吹き込みでは、最初からぴたりとリズムに乗ることができたのです。
それまで笑っていたバンドマンたちも驚きました。
一度つかんだリズムは、その後の録音でも生かされ、淡谷さんは以来、ミスをしなくなったといいます。
失敗をそのままにせず、自分の身体で解決策を見つけ出したところに、後の大歌手につながる努力と才能が感じられます。
淡谷のり子の吹き込み料は30円!母が涙を流した理由とは?

レコード歌手として活動を始めた淡谷さんでしたが、当初は契約内容について詳しく知らされていませんでした。
最初の吹き込み料は25円(現在の貨幣価値で約2万5千円)。
それまでクラシックのステージで30円(現在の貨幣価値で約72万円)を受け取っていたため、特別に高い報酬とは感じていなかったそうです。
ところが、会社との話し合いを通じて、本来の吹き込み料は30円だったことが分かります。
紹介料などの名目で差し引かれていた事情もあり、その後は淡谷さんの手に30円ずつ支払われるようになりました。
ポリドールでの吹き込みが約30曲に及んだ頃、会社から突然700円を受け取ります。
契約金に何回分かの吹き込み料を含めたもので、淡谷さんにとっては予想外の大金でした。
そのお金で、ハンドバッグや帽子、アクセサリーなどを買い、家に帰りました。
しかし、母親は買い物の様子と残ったお金を見て驚きます。
「どうしたの、こんなにたくさんのお金?」
淡谷さんが会社から受け取ったお金だと説明しても、母親はすぐには信じられませんでした。
そこで、仕事の報酬であることを一生懸命に説明すると、母親もようやく納得しました。
そして、普段は感情をあまり表に出さない母親が、初めて笑顔を見せ、涙を流して喜んだのです。
娘が歌手として仕事をし、自分の力でお金を得られるようになったこと。
その姿が、母親にとって何よりうれしかったのでしょう。
華やかな買い物の裏側には、歌手として歩み始めた娘を見守る母親の深い思いがありました。
まとめ
- 淡谷のり子さんの最初の吹き込みは「久慈浜音頭」、2曲目はジャズの「夜の東京」でした。
- 慣れないジャズのリズムに苦戦し、録音を5回もやり直して6回目でようやく合格しました。
- 踊りの調子で歌えばよいと気づき、次の録音では見事にリズムをつかみました。
- 当初25円だった吹き込み料は、事情が明らかになった後、30円ずつ支払われるようになりました。
- 約30曲を吹き込んだ頃に受け取った700円をめぐり、母親が涙を流して喜ぶ心温まる出来事がありました。
淡谷のり子さんの歌手人生は、最初から順風満帆だったわけではありません。
失敗を努力で乗り越え、母親の喜びを胸に歌い続けた経験が、後の「ブルースの女王」へとつながっていったのではないでしょうか。
参考文献:「淡谷のり子 わが放浪記」他
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