昭和の歌謡界を代表するレジェンド歌手、藤山一郎さん。
筆者が高校生だった昭和56年頃、地元・広島で藤山さんの生歌を聴く機会に恵まれました。
会場に掲げられていたのは、「藤山一郎来たる!無料」という横断幕でした。
当時71歳だった藤山さんの歌声は、テレビや録音で聴くものとはまったく違っていたのです。
今回は、筆者の忘れられない実体験を通して、藤山一郎さんの圧倒的な歌唱力と音楽哲学、そして心に刻まれた感動を振り返ります。
藤山一郎が広島に来た!高校生の筆者が会場へ向かった理由とは?
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筆者が高校生だった昭和56年頃、広島市内の区民文化センターに「藤山一郎来たる!無料」という横断幕が掲げられていました。
筆者は当時、特攻から生還した父親とよくテレビの歌番組を観ていました。
父は戦前・戦中・戦後の流行歌を愛好し、二葉あき子さんや藤山一郎さんなど、往年のスター歌手が出演する番組を好んでいました。
その影響を受け、筆者も次第に昭和の流行歌や、歌が生まれた時代背景に関心を持つようになりました。
そんな筆者にとって、地元で藤山さんの歌を聴ける機会は見逃せないものでした。
しかし、当時はまだ十代。
詰襟の学生服姿で、年配の方々ばかりが集まる会場に入るのは、少々気恥ずかしく感じられました。
それでも、思い切って会場へ足を運びました。
案の定、客席は年配の方々でいっぱいで、筆者のような学生服姿は見当たりませんでした。
それでも周囲から浮いてしまう気まずさよりも、憧れの藤山一郎さんの歌を生で聴きたいという気持ちが勝ったのです。
藤山一郎の71歳の歌声に衝撃!録音では味わえない生歌の魅力とは?
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当時71歳だった藤山さんは、テレビやラジオへの出演に加え、公共施設などでの公演にも精力的に取り組んでいました。
筆者が訪れたステージでは、アップライトピアノ一台による伴奏が行われていました。
演奏を担当していたのは、藤山さんの音楽学校の後輩にあたる松平晃さんのご令嬢、福田和禾子(ふくだわかこ)さんでした。
福田さんは東京音楽学校の流れをくむ東京藝術大学で作曲を学び、卒業後はNHKの子ども番組などで数多くの楽曲を手がけられた方です。
筆者の記憶に残っているのは、藤山さんと福田さんの親しい間柄が伝わるやり取りです。
藤山さんが「次の曲は『夢淡き東京』です」と曲紹介をした後、ピアノの演奏が始まらないと、「おい!弾けよ!」と声を掛ける場面もありました。
ステージ上でも遠慮のない言葉を交わす様子が、今も懐かしく思い出されます。
そして、いよいよ藤山さんの歌声が響き渡りました。
筆者はそれまで、テレビやミュージックテープなどで藤山さんの歌を何度も聴いていました。
しかし、目の前で披露された生歌は、想像を超えるものでした。
明瞭で伸びやか、まるで天に突き刺さるような力強い歌声。
マイクの前で歌う藤山さんの声は、筆者の胸に深く響き渡りました。
「本当に来て良かった!」
そう思わずにはいられないほどの感動でした。
録音された歌声を聴くことと、目の前で歌い手の声の響きを感じることは、まったく違う体験だったのです。
71歳になっても聴く人の心を揺さぶる歌声こそ、藤山一郎さんが長年磨き続けてきた実力の証しだったのではないでしょうか。
藤山一郎が語った音楽哲学とは?71歳の言葉が今も心に残る理由!
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ステージの合間、藤山さんは自身の音楽観についても語られていました。
それは、歌にとって大切なのは「メロディー(旋律)」「ハーモニー(和声)」「リズム(律動)」の三つであり、それらを三角形のように均衡させることが重要だという考え方でした。
どれか一つでもバランスを崩せば、音楽としての品格が失われてしまうという趣旨のお話だったと記憶しています。
この言葉を振り返ると、藤山さんの歌唱や指導の根底には、声の美しさだけでなく、音楽全体の調和を大切にする哲学があったのだと感じます。
さらに、藤山さんは当時71歳という年齢に触れ、日本人男性の平均寿命に近づいていること、いつ死んでもおかしくないからこそ日々を大切に過ごしたいという趣旨のお話もされていました。
こちらは筆者の記憶に基づく内容です。
それから約10年後の1992年5月、藤山さんは国民栄誉賞を受賞されました。
そして1993年8月、82歳で生涯を閉じられました。
人生の限りある時間を意識しながらも、歌を通じて人々に喜びを届け続けた藤山さん。
その姿は、筆者の心に深く刻まれています。
広島で聴いたあの日の生歌は、単なる懐かしい思い出ではありません。
藤山さんの作品や歩んだ時代を次の世代に伝えたいと思う、大きなきっかけとなりました。
全36回にわたる藤山一郎シリーズを執筆できたことも、あの日の感動があったからこそ、いっそう意義深いものになったと感じています。
まとめ
- 藤山一郎さんの生歌を聴いたのは、筆者が高校生だった昭和56年頃、広島市内の区民文化センターでした。
- 当時71歳だった藤山さんの歌声は、録音とは異なる明瞭さと力強さに満ち、筆者の胸を打ちました。
- 「メロディー」「ハーモニー」「リズム」の調和を重視する音楽哲学からは、藤山さんの音楽に対する真摯な姿勢がうかがえます。
- 日々を大切に過ごしたいという趣旨の言葉も、筆者の心に深く残っています。
- あの日の感動は、藤山一郎さんの歌声や昭和の音楽文化を後世に伝えたいという思いにつながっています。
▼前回の記事(第36弾)はこちら↓をご覧ください。
藤山一郎は園遊会の3カ月後に死去!墓碑に刻まれた曲とは? | トレンドの光と影
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