二葉あき子との出会いは孫の一言から!広島市内の公園から始まった交流の物語?

2003年春、広島に帰郷された二葉あき子さんと、思いがけない形で出会いました。

花見シーズンの公園で、お孫さんから「祖母のためにお手洗いをお借りできませんか」と声をかけられたことが、交流の始まりでした。

ご自宅での再会や歌の思い出話へとつながっていく、その最初の物語を当時の写真と共に振り返ります。

目次

二葉あき子との出会いは孫の一言から始まった!

花見客でにぎわう広島市内の小高い山の公園。

その日、私のもとに届いたのは、お孫さんからの「祖母のために施設のお手洗いをお借りしたい」という申し出でした。

実は、私の勤務先は毎年花見シーズンに敷地を一般開放しており、ご高齢の方が急を要する場合には特別に施設内のお手洗いを案内することがありました。

展望台付近の公衆トイレまでは距離があり、当時89歳の二葉さんには負担が大きいと判断し、女性職員に案内を依頼しました。

その女性職員は偶然にも二葉さんのファンで、「先生の『恋のアマリリス』が大好きです」と伝えると、二葉さんは「あら、そうなの!」と嬉しそうに微笑まれました。

この温かいやり取りが、後の交流へとつながる最初の一歩となりました。

二葉あき子と歌でつながった意外な縁とは?

実は私は、この出会いの3年前に職場の山登り会の会報で、秋の花・曼殊沙華(彼岸花)を紹介しながら、「恋の曼殊沙華」(昭和23年発売)と「恋のアマリリス」(昭和24年発売)を取り上げていました。

どちらも学匠・西條八十の作詞で、広島出身の二葉あき子さんが歌った名曲です。

特に「恋の曼殊沙華」は映画『三百六十五夜』の挿入歌としてスクリーンで二葉さんが歌唱し、「恋のアマリリス」は『青い山脈』『続・青い山脈』の主題歌として知られています。

会報を読んだ職場のOB(大正15年生まれ)からも「懐かしい歌だ」と喜ばれたことを覚えています。

この過去の思い入れを二葉さんとお孫さんにお伝えしたところ、「そんなことを書いてくださっていたのね」と大変喜ばれ、ここから本格的な交流が始まりました。

二葉あき子の自宅で始まった特別な時間とは?

『恋の曼殊沙華』『恋のアマリリス』が紹介された会報を手に、微笑む二葉あき子さん 
撮影:筆者(2003年・ご自宅にて)

後日、お孫さんの案内で二葉さんのご自宅を訪ね、会報をお見せすると、二葉さんは本当に嬉しそうに目を細めておられました。

そしてその場で、アカペラで数曲を披露してくださるという、今思い返しても胸が熱くなるほど貴重な体験をさせていただきました。

当時、二葉さんは弟さん夫婦とお孫さんと暮らしており、ご家族からはさまざまなエピソードを伺いました。

また、ご自宅では豪華な食事をごちそうになることもあり、温かく迎えていただいたことを今でも鮮明に覚えています。

さらに、歌心を忘れないようにとご家族から依頼され、二葉さんと一緒にカラオケボックスやカラオケ喫茶に出かけたこともありました。

引退後の二葉さんと“歌”を通じて過ごした時間は、何ものにも代えがたい宝物です。

まとめ

2003年の春、公園での偶然の出会いは、思いがけないご縁を生みました。

お孫さんの一言から始まった交流は、二葉あき子さんの歌、人柄、ご家族の温かさに触れる貴重な時間へと広がっていきました。

本記事は、これから続く交流記シリーズの第一弾です。次回以降も、二葉さんとの忘れがたいエピソードを丁寧に綴ってまいります。

前回の記事はこちら↓

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