昭和を代表する歌手・二葉あき子さん。
その長い歌手人生の幕引きは、思いがけない“異変”から始まりました。
88歳で出演したテレビ東京「年忘れにっぽんの歌」での『さよならルンバ』。
その歌声に起きた変化は、視聴者の胸を締めつけるものでした。
そしてこの出来事こそが、広島への帰郷と引退を決意させた瞬間だったのです。
二葉あき子、88歳の最後の歌声に起きた異変とは?

二葉あき子さんが88歳で出演したテレビ東京「年忘れにっぽんの歌」。
この番組で披露された『さよならルンバ』は、彼女の歌手人生において“最後の歌声”となりました。
歌い出しはいつものように落ち着いた声でしたが、途中から伴奏が聴こえづらくなり、音程が大きく外れ始めたのです。
視聴者としてその瞬間を目撃した私は、胸が締めつけられるような思いで画面を見つめていました。
しかし、二葉さんは決して歌うことをやめませんでした。
音が聴こえなくても、最後まで歌い切ろうとする姿勢には、歌手としての矜持がにじんでいました。
その姿は痛々しくもあり、同時に強い尊敬の念を抱かせるものでした。
この“異変”こそが、彼女が長年続けてきた歌手生活の終わりを自ら悟るきっかけとなったのです。
二葉あき子が引退を決意した理由とは?

この出来事の背景には、晩年の二葉さんを悩ませていた難聴の進行がありました。
伴奏が聴こえない恐怖は、歌手にとって致命的です。
それでも舞台に立ち続けてきたのは、歌うことが生きる証そのものだったからです。
しかし、88歳のあのステージで起きた“異変”は、彼女にとって決定的な瞬間となりました。
「もう思うように歌えない」――その現実を受け入れざるを得なかったのです。
翌年、彼女は長年暮らした東京・赤坂のマンションを離れ、故郷の広島へ帰郷します。
「死ぬまで歌うつもり」で選んだ赤坂の住まいを離れる決断は、どれほど重いものだったでしょうか。
二葉あき子が自伝で語った晩年の心境

自伝『人生のプラットホーム』の最終章には、晩年の二葉さんの心境が率直に綴られています。
激動の昭和を生き抜き、原爆で「一度死にそこなった」経験を持つ彼女は、死への恐れと生への執着を隠しませんでした。
「冬は寒いから死ぬのはイヤ、春は花が美しいからイヤ、夏は暑すぎるからイヤ、秋は空がきれいだからイヤ」
この言葉には、人生を精一杯生き抜いてきた人の素直な感情がにじんでいます。
また、晩年には広島の母が夢に現れ「お帰り」と迎えてくれることが増えたと語っています。
故郷への想いは年々強まり、88歳の最後のステージを経て、その気持ちは決定的なものになりました。
そして彼女はこう締めくくっています。
「二葉あき子って女は、結局、死ぬまで歌っていたんだな」と言われるような生涯でありたい。
この言葉は、歌手としての誇りと覚悟を象徴する一文です。
まとめ
88歳で迎えた「年忘れにっぽんの歌」での『さよならルンバ』。
その歌声に起きた“異変”は、二葉あき子さんの歌手人生の終わりを告げる瞬間でした。
しかしその姿は、最後まで歌い続けようとする強い意志に満ちていました。
自伝が語る晩年の心境と広島への帰郷は、この最後のステージと深く結びついています。
歌とともに生き、歌とともに人生を閉じようとした二葉あき子さんの姿は、今も多くの人の心に残り続けています。









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