昭和歌謡の世界には、今では聴くことすら叶わない“幻の音源”が数多く存在します。
二葉あき子さんとその家族との交流を通じて触れた150曲のCD全集は、私にとって昭和の深層へと続く扉のようなものでした。
さらに、SP盤時代だけでも450曲に達する膨大な作品群を辿る中で、社会の影を鋭く映し出す楽曲の存在に気づかされました。
サンカを暗示した「漂泊の人々」(作詞:藤浦洸、作曲:古関裕而)や、遺書朗読入りの時局歌謡「荒鷲慕いて」(作詞:西條八十、作曲:江口夜詩)など、現在では音源が失われたものや、激動の昭和の影を強く映し出す作品も存在します。
本稿では、これらの作品が語る“昭和の影”に迫ります。
二葉あき子と家族との交流が開いた埋もれた名曲の世界とは?

二葉あき子さんは歌手引退後、広島の“二葉の里”にあるご自宅で、弟さんご夫妻、そしてご子息の長男であるお孫さんとともに静かな晩年を過ごされていました。
私が二葉さんの家族とご縁をいただいた後のある日のこと、日本コロンビアの方からCD全集150曲(136曲+カラオケ14曲)を譲り受けたことがありました。
これが、埋もれた名曲の数々と出会う大きな転機となりました。
全集を聴き進めるうちに、二葉さんの作品の幅広さに驚かされました。
唱歌、和製ジャズ、タンゴ、ブルース、シャンソン、日本調の流行歌、軍歌(戦時歌謡)など、ジャンルは多岐にわたります。
さらに、SP盤時代(1934〜1961年)だけでも発表曲は約450曲に達し、そのテーマの広がりは圧巻です。
これほど多彩な作品を残し、しかもヒットさせた歌手は、昭和歌謡史の中でも稀有な存在といえます。
二葉あき子が歌ったサンカの影─幻の珍盤「漂泊の人々」とは?

二葉さんがデビューした1936(昭和11)年に発表された「漂泊の人々」は、今では現存音源が確認されていない幻の珍盤です。
この曲は、当時“山の民”として語られたサンカ(山窩)を暗示する内容で、社会の片隅に生きる人々を描いた極めて珍しい作品です。
作詞を手がけた藤浦洸は、民俗学や文学の世界でサンカ研究が静かに注目され始めた時期に、いち早くその空気を捉えました。
新人であった二葉さんに、こうした文学的・社会的テーマを歌わせた点は、当時の流行歌としては異例といえます。
しかし、日本コロムビアは戦災により倉庫を焼失し、原盤4種(ラッカー盤・メタルマスター・マザー盤・スタンパー盤)の大半が失われたとされています。
また、現在、歴史的音源を保存する国立国会図書館・昭和館・金沢蓄音器館などの公的機関でも、この曲のプレス盤の所蔵は確認されていません。
まさに“昭和の影”を象徴する一曲であり、失われた文化遺産といえるでしょう。
二葉あき子が朗読した遺書─時局歌謡「荒鷲慕いて」が映す昭和の現実とは?

デビューの翌年(1937年)、日中戦争が勃発した直後に西條八十作詞による「荒鷲慕いて」という作品が発表されています。(2年後の1939年に同じく西條八十作詞、古関裕而作曲による同名異曲あり)
これは当時新聞報道された若い妻の入水自殺を題材にした時局歌謡です。
テーマは、空に散った護国の勇士の夫。
妻はその後を追うように命を絶ちました。
この曲の最大の特徴は、二葉さんが遺書の一部を淡々と朗読する点にあります。
その一節は次のようなものです。
「わたくし主計様に殉じますこと、戦死確定せしとき定まりましたことにて、決して取乱してのことではございません。おゆるし下さいませ」。
プロの女優による感情的な朗読とは異なり、二葉さんの声は静かで、どこか祈りのような響きを持っています。
そのため、聴く者の胸により深く刺さります。
戦時下の空気をそのまま封じ込めたような作品であり、昭和の現実を知る上で極めて貴重な資料といえます。
まとめ
- 二葉あき子さんの450曲は、昭和の社会・文化・世相を映す貴重な記録です。
- 「漂泊の人々」はサンカを暗示した幻の珍盤で、現存音源が確認されていません。
- 「荒鷲慕いて」は遺書朗読入りの時局歌謡で、戦時下の現実を生々しく伝えます。
- 家族との交流を通じて触れた作品群は、昭和史を読み解く大きな手がかりとなりました。
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