南方への慰問を終えた藤山一郎さんは、いよいよ日本へ帰ることになりました。
約半年ぶりに東京へ戻る予定だった藤山さんを待っていたのは、思いもよらない危機でした。
帰国時に乗る予定だった船は、なんと南方からの帰路で大きな危険に遭遇します。
ところが藤山さんらは、直前の事情によって予定していた船に乗らないことになったのです。
その後に知らされた「鎌倉丸撃沈」の知らせは、藤山さんにどのような衝撃を与えたのでしょうか。
藤山一郎は東京へ帰るため鎌倉丸を待っていた!
第15弾画像2.jpg)
南方での慰問活動を終えた藤山一郎さんは、帰国の時を迎えます。
自伝によれば、藤山さんらは約半年ぶりに東京へ帰る便船を待つことになり、乗船する予定だったのが「鎌倉丸」でした。
行きの旅だけでも、戦時下の南方を移動することには大きな緊張が伴いました。
それだけに、帰国して日本の土を踏めることは、藤山さんにとって大きな喜びだったと考えられます。
ところが、帰国を目前にして、思いがけない出来事が起こります。
予定どおり鎌倉丸に乗っていれば、藤山さんの運命は大きく変わっていた可能性があります。
「日本へ帰る」という当たり前に思えた予定が、戦時下では決して当たり前ではなかったのです。
藤山一郎は急きょ別の船に乗ることになった!
第15弾画像3.jpg)
藤山一郎さんの運命を分けたのが、鎌倉丸から別の船への乗船変更でした。
自伝では、藤山さんらが鎌倉丸に乗る予定だったものの、結果として別の船で帰国することになった経緯が記されています。
当時の南方では、船の運航そのものが戦況に左右されていました。
敵潜水艦による攻撃など、海上交通には大きな危険があったからです。
藤山さん自身も、帰国後になって、予定していた鎌倉丸が撃沈されたことを知ります。
もし予定が変更されていなければ――。
そう考えると、この乗船変更は、藤山一郎さんの人生を左右した重大な出来事だったと言えるでしょう。
本人にとっては、当時は単なる予定変更だったのかもしれません。
しかし、その後に起きた出来事を知れば、それがどれほど大きな意味を持っていたのかが分かります。
藤山一郎は鎌倉丸撃沈の知らせをどう受け止めた?
第15弾画像4.jpg)
鎌倉丸は、南方から日本へ向かう途中、敵潜水艦の攻撃を受けることになります。
自伝の「鎌倉丸撃沈」の項では、昭和18年4月28日、南方水域で鎌倉丸が魚雷攻撃を受け、沈没したことが記されています。
藤山さんらがその船に乗っていなかったからこそ、無事に帰国することができました。
しかも、藤山さんたちが予定どおり鎌倉丸に乗っていれば、まさにその危険に巻き込まれていた可能性があります。
「帰国できた」という結果の裏側には、戦時下ならではの偶然と、わずかな予定の変化がありました。
さらに印象的なのは、藤山さんが自伝で、この出来事を単なる幸運としてだけではなく、南方慰問全体を振り返る流れの中で記していることです。
慰問先では兵士たちを励ますために歌い、帰国の途では自らも危険と隣り合わせになりました。
歌手として戦地へ赴いた藤山一郎さんが、そこで経験したのは、華やかなステージとはまったく異なる戦争の現実だったのです。
そして、予定していた船の変更が、藤山さんの命を救うことになりました。
まとめ
- 藤山一郎さんは南方での慰問を終え、約半年ぶりに東京へ帰る予定でした。
- 帰国時には、当初「鎌倉丸」に乗船する予定になっていました。
- ところが、急きょ別の船に変更されることになりました。
- その後、昭和18年4月28日に鎌倉丸が敵潜水艦の魚雷攻撃を受け、撃沈されたことを知ります。
- 結果として、乗船変更は藤山一郎さんの運命を大きく分ける出来事となりました。
- 「最前線の心意気」に続く「鎌倉丸撃沈」は、戦時下の慰問活動がいかに危険と隣り合わせだったかを伝える、自伝ならではの貴重な記録です。
▼次回の記事(第16弾)はこちら↓をご覧ください。
第16弾画像1アイキャッチ.jpg)
▼前回の記事(第14弾)はこちら↓をご覧ください。
第14弾画像1アイキャッチ.jpg)
第15弾画像1アイキャッチ.jpg)
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] […]