二葉あき子は広島で96歳の大往生!葬送曲は何だった?

昭和歌謡を代表する大歌手・二葉あき子さんは、晩年を故郷・広島で過ごし、96歳という長寿を全うされました。

その最期は華やかな芸能人生とは対照的に、家族に見守られながら静かに訪れました。

しかし、その人生の締めくくりには、多くの人々の心を打つエピソードが残されています。

特に告別式で流れた葬送曲「水色のワルツ」は、二葉あき子さんの人生そのものを象徴する一曲でした。

今回は、筆者が実際に見聞きした最晩年の姿とともに、昭和の歌姫が迎えた感動の最期を振り返ります。

目次

二葉あき子が故郷・広島で過ごした穏やかな晩年とは?

二葉あき子さんは晩年、故郷である広島へ戻り、ご親族が営む介護老人保健施設で生活を送られていました。

筆者は家族ぐるみで交流をさせていただいていたこともあり、勤務先からの帰宅途中に時折お見舞いへ伺っていました。

施設での二葉さんは、往年の大スターというよりも、一人の穏やかな高齢者として日々を過ごされていました。

ある日、山根徹さんがお見舞いに来られた際、施設内で歌のイベントが開催されていました。

参加者全員で「青い山脈」を合唱する場面では、車いすに座った二葉さんも会場の後方から静かに見守られていました。

実際に歌われることはありませんでしたが、その表情からは歌を愛する心が今も失われていないことが感じられました。

昭和歌謡史に名を刻んだ大歌手が、静かに歌声へ耳を傾ける姿は非常に印象的でした。

二葉あき子と「青い山脈」が結んだ知られざる縁!

この日の出来事には、あまり知られていない興味深い背景があります。

実は「青い山脈」(作詞:西條八十、作曲:服部良一)のB面として発売された「恋のアマリリス」(作詞:西條八十、作曲:服部良一)は、二葉あき子さんがソロで吹き込んだ楽曲でした。

しかしイベント会場でその事実を知る人はほとんどおらず、参加者は純粋に「青い山脈」を楽しんでいました。

日本中に愛された名曲の裏側で、二葉さん自身も深く関わっていたという事実は、昭和歌謡ファンにとって見逃せないエピソードです。

筆者と山根さんだけがその背景を知っていたため、どこか不思議で微笑ましい気持ちになったことを今でも覚えています。

それでも、このようなイベントは二葉さんの歌心を保つ上で大切な時間だったのではないでしょうか。

二葉あき子の最期と葬送曲「水色のワルツ」に込められた想いとは?

施設で穏やかな日々を送っていた二葉あき子さんでしたが、高齢に伴い徐々に体調を崩されていきました。

そして2011年8月16日、ご家族に見守られながら永眠されます。

享年96歳でした。

激動の昭和を駆け抜けた大歌手が、家族に囲まれながら静かに人生の幕を閉じた瞬間でした。

訃報を受けた筆者は急いで駆け付け、通夜と告別式に参列しました。

会場には大津美子さん、島倉千代子さん、舟木一夫さん、北島三郎さんをはじめ、多くの歌手から供花が届けられていました。

その光景からは、二葉さんがいかに多くの人々から愛され、尊敬されていたかが伝わってきました。

そして出棺の時、静かに流れ始めたのが「水色のワルツ」でした。

この曲は二葉あき子さんの代表曲の一つであり、昭和歌謡史に残る名曲です。

会場を包み込む優しい旋律は、まるで96年の人生を静かに振り返るかのようでした。

参列者は皆、昭和を代表する歌姫との最後の別れを惜しみながら見送ったのです。

まとめ

  • 二葉あき子さんは晩年を故郷・広島で穏やかに過ごされました。
  • 施設では歌のイベントに参加し、歌を愛する心を持ち続けておられました。
  • 「青い山脈」のB面「恋のアマリリス」を吹き込んだ意外な縁もありました。
  • 2011年8月16日、96歳でご家族に見守られながら永眠されました。
  • 告別式では代表曲「水色のワルツ」が葬送曲として流されました。
  • 昭和歌謡界を代表する大歌手として、多くの人々に惜しまれながら旅立たれました。

前回の記事はこちら↓をご覧ください。

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