広島へ帰郷した晩年の二葉あき子さん。
その静かな日々の中で、思いがけず生まれた“最終ステージ”があります。
きっかけは、下関から訪れた一人の若き青年との出会いでした。
そして筆者もまた、その場に偶然立ち会うことになります。
三者が交わった瞬間から、物語は大きく動き始めました。
二葉あき子が広島で迎えた晩年の静かな暮らしとは?

2003年、長い歌手生活を終えた二葉あき子さんは、故郷である広島へ帰郷しました。
広島市内のご自宅で穏やかな日々を送りながらも、歌手としての誇りは失われていませんでした。
来訪者の前では、時折、若い頃の面影を残す歌声を披露し、周囲の空気を一変させるほどの存在感を放っていました。
晩年の彼女は、静かでありながらも、歌とともに生きた人生の輝きを確かに宿していたのです。
二葉あき子と若き青年・山根徹氏との出会いとは?

下関市在住の山根徹さん(当時21歳)は、老人施設を慰問して歌う活動を続ける当時、21歳の若き青年でした。
二葉さんの歌を深く愛し、SPレコードを収集するほどの熱心なファンでもありました。
その活動が山口のテレビ局の目に留まり、「二葉さんと共に青年を取材したい」という依頼が二葉さん一家に届きます。
当日、筆者はご家族からの依頼で立ち会うことになり、二葉さん、山根さん、そして筆者が初めて同じ場に揃いました。
この“偶然の合流”こそが、後に語られる最終ステージの始まりでした。
二葉あき子が老人施設で演じた最終ステージとは?

二葉あき子さん(中央)、
司会進行役の山根徹さん(右)、サポート役の筆者(左)
筆者の父は、戦前より二葉あき子さんのファンで、特に戦時中に流行った「めんこい仔馬」が思い出の歌として大のお気に入りでした。
彼は17歳の時、特攻に志願するも、ほどなく終戦を迎え、奇跡的に生き延びた経験を持っていました。
二葉さんが引退し、帰郷した当時は脳梗塞で倒れ、老人養護施設に入居していました。
その父親の施設への慰問をお願いすると、二葉さんは「いいわよ」と快く引き受けられたのです。
そこで山根さんも同行し、三者は筆者の父の施設を訪れることになりました。
二葉さんはにわか作りのステージで山根さんの司会進行にそって父親のお気に入りの「めんこい仔馬」をアカペラで歌われ、次いで「さよならルンバ」のダンスを披露されました。
その歌声とダンスに込められた歌魂は現役時と変わらず、場の空気を一瞬で変える力がありました。
山根さんと筆者はその姿に深く胸を打たれ、また施設の職員や入居者も感激し、正に二葉さんの“人生の集大成”とも言える見事なステージでした。
まとめ
・二葉あき子さんは晩年も歌手としての誇りを失いませんでした
・山根徹さんとの出会いはテレビ取材がきっかけでした
・筆者の父の施設で披露された歌声とダンスは正に“最終ステージ”にふさわしいものでした
・三者の偶然の出会いが、深い絆と感動の瞬間を生みました
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