昭和歌謡の名曲「めんこい仔馬」。
その裏には、長い年月を経てようやく結ばれた、深い絆の物語があります。
筆者はかつて、札幌・三角山FMのパーソナリティーを務めていた方のご縁で、童謡歌手として二葉あき子さんと共に「めんこい仔馬」を吹き込んだ髙橋祐(さち)子さんをご紹介いただきました。
そして筆者は、お二人が73年ぶりに交流を果たす瞬間に立ち会うことになります。
戦時下の御前演奏、銀座での思い出、そして時を超えた再会。
この記事では、その貴重な交流記をもとに、知られざる「めんこい仔馬」の真実に迫ります。
二葉あき子と童謡歌手が残した「めんこい仔馬」の絆とは?

「めんこい仔馬」(発売当初の表記は「めんこい子馬」)は、1940(昭和15)年に吹き込まれた名曲です。
当時、二葉あき子さんは若き人気歌手、そして共唱した髙橋祐子さんはまだ小学生の童謡歌手でした。
筆者が髙橋さんを訪ねたのは、千葉県内で営まれていた幼稚園。
歌手活動はすでにされていませんでしたが、当時の思い出は鮮明に残っていました。
ビデオカメラの前に立った髙橋さんは、二葉さんへのメッセージを語り、そして朗々と「めんこい仔馬」を歌い上げたのです。
その姿は、73年の時を経てもなお、音楽が結ぶ絆の強さを感じさせるものでした。
二葉さんからもビデオメッセージが届けられ、さらに電話でもしっかりと会話を交わされました。
お二人の間に流れた時間は長くても、「めんこい仔馬」で結ばれた心の距離は変わらなかったのだと実感しました。
二葉あき子が童謡歌手に贈った銀座の思い出とは?

髙橋さんが特に強く覚えていたのは、レコーディング後に二葉さんと銀座へ出かけた日のことです。
二葉さんは小学生の髙橋さんをパーラーに連れて行き、あんみつをご馳走し、千代紙を買ってあげたといいます。
戦時色が濃くなりつつあった時代にあって、これは少女にとって忘れられない温かい思い出でした。
当時のスター歌手が、年の離れた共演者に優しく接し、気遣いを見せる姿は、二葉さんの人柄を象徴するエピソードでもあります。
髙橋さんはその日のことを語るとき、まるで昨日の出来事のように表情をほころばせていました。
音楽だけでなく、人としての優しさが心に刻まれていたのだと感じます。
二葉あき子は童謡歌手と共に御前演奏を体験!控室で見た伊藤久男の姿とは?

1940年、北白川宮永久王殿下が蒙疆(もうきょう)国(現在の中国北部〜モンゴル地域)にて飛行機事故によりご薨去(戦死)の報が伝えられた折、二葉あき子さんと髙橋祐子さんは宮邸での御前演奏に招かれました。
二葉さんは声楽家・伊藤武雄さんとともに奉賛歌「嗚呼北白川宮殿下」を、髙橋さんはB面収録の童謡「尊い宮様」を歌唱。
筆者は当時の写真も拝見しましたが、緊張感と厳粛さが伝わる貴重な記録でした。
中でも髙橋さんの記憶に強く残っていたのは、伊藤久男さんが「暁に祈る」を歌い終えた後の姿です。
控室の壁に手を広げ、顔を伏せ、全身で号泣していたといいます。
伊藤久男さんは殿下と同い年。
軍人としての宿命を背負った皇族の死に、深い弔意を示したその姿は、暗く悲しい時代を象徴する瞬間でもありました。
こうした歴史の渦中で「めんこい仔馬」が生まれ、歌われていたことを思うと、曲の持つ意味はより深く感じられます。
まとめ
- 「めんこい仔馬」は二葉あき子さんと少女歌手・髙橋祐子さんの絆が生んだ名曲です。
- 73年ぶりの再交流は、音楽が時を超えて人を結ぶ力を示しました。
- 銀座でのあんみつや千代紙の思い出は、二葉さんの温かい人柄を象徴しています。
- 御前演奏や伊藤久男さんの号泣する姿など、戦時下の歴史が曲の背景に深く関わっています。
- 筆者にとっても、父の思い出の歌をめぐるこの再会は忘れられない体験となりました。
前回の記事はこちら↓をご覧ください。


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