淡谷のり子さんといえば、「別れのブルース」や「雨のブルース」で知られる、日本を代表するブルースの女王です。
しかし、華やかな歌手生活の裏側には、本人の誇りを傷つけるような出来事もありました。
レコード会社のディレクターから繰り返し誘いを受けながら、それをきっぱりと拒絶した淡谷さん。
すると、その後、彼女について信じられないような噂が広まったといいます。
いったい何が起きたのでしょうか。本人の回想をもとに、その知られざるエピソードをたどります。
淡谷のり子がレコード会社で直面した厳しい立場とは?

淡谷のり子さんは、歌手として活動を始めた頃から、必ずしも順風満帆だったわけではありません。
ポリドールに所属していた時期もありましたが、専属契約がはっきりしない状態が続き、一時期、キングレコードに籍を置き、「マドロス小唄」を吹き込んだこともありました。
しかし、その後与えられた曲などに不満を感じ、会社に契約を返してしまいます。
当時の淡谷さんは、周囲から批判を受けることもあり、歌手としての立場が安定していたとはいえません。
そんな時期、とある大手のレコード会社の担当者から、吹込み予定者がかぜをひき、レコードの吹き込みができなくなったため、淡谷さんに代わりに歌ってほしいと頼んできたのです。
淡谷さんは以前にもそのレコード会社で一度吹き込みを行っており、かぜをひいた歌い手はそこに籍を置く友人(下級生)でした。
その後、本契約となり、こうした人とのつながりが、大手レコード会社での活動につながっていきました。
ところが、会社での仕事が始まると、思いもよらない問題に直面することになります。
淡谷のり子がディレクターの執拗な誘いを拒絶!

移籍をして活動する淡谷さんに対し、あるディレクターが執拗に誘いをかけるようになりました。
当時のレコード会社では、制作を担当するディレクターが歌手の仕事や録音に大きな影響力を持っていました。
そのため、会社での立場が強い男性からの誘いを断ることは、若い女性歌手にとって簡単なことではなかったはずです。
しかし、淡谷さんは相手の誘いに応じませんでした。
自分の意思に反することは受け入れないという、彼女らしい気の強さが表れた出来事です。
歌手として仕事を続けるために、相手の機嫌を取るという選択肢もあったかもしれません。
それでも淡谷さんは、自分の誇りを守る道を選びました。
ところが、誘いを拒絶したことで、事態は思わぬ方向へ進んでいきます。
淡谷のり子に広まった梅毒という悪質な噂とは?

ディレクターの誘いを拒絶した後、淡谷さんの周囲では、耳を疑うような噂が広まったといいます。
それは、淡谷さんが「梅毒」にかかっているという内容の噂でした。
もちろん、これは本人について広められた噂であり、病気にかかっていたという事実を示すものではありません。
女性歌手にとって、病気に関する悪評は仕事にも影響しかねない深刻な問題です。
淡谷さんは、こうした非難や中傷を受けながらも、歌手としての活動を続けようとしました。
さらに、自伝には、スタジオでの録音をめぐる屈辱的な出来事も記されています。
あるとき、レコードの吹き込みに際して、「淡谷のり子が梅毒で声が出ない」ということで会社の重役たちが立ち会うことになりました。
本来、歌手にとって録音は、自分の実力を発揮する大切な仕事です。
それにもかかわらず、周囲の視線や会社側の対応によって、淡谷さんは精神的にも追い詰められるような経験をしたのです。
歌手として評価されるべき場面で、なぜ自分がこのような扱いを受けなければならないのか。
その悔しさは、当時の淡谷さんにとって、決して小さなものではなかったでしょう。
しかし、こうした経験を重ねても、彼女は歌うことを諦めませんでした。
まとめ
淡谷のり子さんの回想からは、歌手として成功するまでに経験した、厳しい人間関係や芸能界の一面が伝わってきます。
今回のエピソードを振り返ると、次のようなことが分かります。
- 淡谷のり子さんは、ポリドールやキングレコードを経て、大手レコード会社と本契約を結びました。
- 移籍をして活動する中、ディレクターから執拗な誘いを受けました。
- 淡谷さんは、その誘いを受け入れず、自分の意思を貫きました。
- その後、「梅毒」という病気に関する悪質な噂が広まりました。
- 録音現場でも屈辱的な経験をしましたが、歌手としての道を歩み続けました。
淡谷のり子さんは、単に歌がうまいだけの歌手ではありませんでした。
どんな逆境にあっても、自分の誇りを失わずに生きた女性だったのです。
「ブルースの女王」と呼ばれる彼女の歌声には、こうした人生経験も深く刻まれていたのではないでしょうか。
参考文献:「淡谷のり子 わが放浪記」
▼前回の記事(第4話)はこちら↓をご覧ください。


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