南方慰問の旅を続けていた藤山一郎は、バタビアで思いがけない映画との出会いを経験しました。
そこは、かつてオランダ領東インドの首都だったバタビアです。
日本軍の進駐後、バタビアの陸軍情報部のあった場所には映画やレコードなども管理されていました。
藤山一郎が「参考のために」と見せてもらった作品は、意外にもチャップリンの映画でした。
戦時下のバタビアで藤山一郎がスクリーンに引き寄せられた理由は何だったのでしょうか。
藤山一郎はバタビアの日本陸軍情報部を訪れた!
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バタビアは、当時オランダ領東インドの首都として知られ、西洋文化の豊かな香りが漂う都市でした。
しかし、日本軍の進駐によって、その街の様子は大きく変わっていました。
藤山一郎がこの地を訪れた際、日本陸軍情報部の管理部には、オランダ軍が残していった映画やレコードなどが集められ、管理されていました。
そこで藤山一郎は、管理部の将校に対して、参考のために映画をひとつ見せてもらえないかと申し出ます。
すると将校は快く応じ、映画室へ案内してくれたといいます。
戦地で慰問活動を続ける藤山一郎にとって、そこは普段の活動とはまったく違う場所でした。
そこで待っていた一本の映画が、思いがけない印象を残すことになります。
藤山一郎が見せてもらった映画はチャップリンの「独裁者」だった!
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映画室で上映された作品を見て、藤山一郎は驚きます。
その映画は、チャールズ・チャップリンが出演・監督した『独裁者』でした。
『独裁者』は、当時の日本ではまだ一般公開されていなかった作品です。
藤山一郎自身も、この作品を日本で見ることになるのは戦後になってからだったと記しています。
ところが、バタビアの日本軍管理下にあった映画室で、思いがけずその作品を見る機会を得たのです。
スクリーンに映し出された映画に対して、藤山一郎は「おっ、これはすごい!」という驚きを覚えます。
そして、映画の素晴らしさに次第に引き込まれ、スクリーンへと引き寄せられていったと振り返っています。
歌手として音楽の世界を歩んできた藤山一郎にとって、映画という別の表現から受けた刺激も、強く心に残ったようです。
藤山一郎は「独裁者」に何を感じたのか?
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藤山一郎が特に印象に残ったのは、単に映画を楽しんだということだけではありません。
『独裁者』には、チャップリンならではのユーモアを通して、当時の世界を映し出すような表現が込められていました。
藤山一郎は、その作品を見ながら、スクリーンに描かれる世界に強く惹きつけられていきます。
『独裁者』の素晴らしさを強く感じた背景には、それ以前に日本で見た映画との比較もあったようです。
自伝の中では、具体的に松竹映画『愛機南へ飛ぶ』を見た際の印象にも触れています。
作品中には、従軍する息子の武運長久を祈るため、母親が雪の中を素足で神社へ向かう場面がありました。
しかし藤山一郎は、その場面で流れた音楽について、雪の情景とは対照的に、灼熱の砂漠を思わせるようなメロディーだったことに違和感を覚えたと振り返っています。
そのため、映画を見ていて「ムードがぶち壊しだ」と感じる場面もあったといいます。
そして、そうした経験があったからこそ、バタビアで見た『独裁者』については、映像と音楽が一体となった表現の素晴らしさを、いっそう強く感じたのでしょう。
もちろん、これはあくまで藤山一郎自身の映画体験に基づく感想です。
『愛機南へ飛ぶ』は松竹が1943年に製作した航空映画で、当時としては特殊撮影を駆使した作品でした。
こうした映画との接点を振り返ると、戦時下の南方で映画が人々にどのような世界を見せていたのかという点も興味深いところです。
しかも、藤山一郎が『独裁者』を見たのは、映画館で娯楽作品を楽しむような状況ではありません。
南方慰問の旅の途中、バタビアの日本軍管理部で、偶然に近い形で見せてもらった映画でした。
だからこそ、この出来事は藤山一郎の南方体験の中でも印象的な一場面として残ったのでしょう。
戦場から遠くない場所で、藤山一郎が『独裁者』の素晴らしさを強く感じた背景には、それ以前に日本で見た映画との比較もあったようです。
藤山一郎は自伝の中で、松竹映画『愛機南へ飛ぶ』を見た際の印象にも触れています。
作品中には、従軍する息子の武運長久を祈るため、母親が雪の中を素足で神社へ向かう場面がありました。
しかし藤山一郎は、その場面で流れた音楽について、雪の情景とは対照的に、灼熱の砂漠を思わせるようなメロディーだったことに違和感を覚えたと振り返っています。
そのため、映画を見ていて「ムードがぶち壊しだ」と感じる場面もあったといいます。
そして、そうした経験があったからこそ、バタビアで見た『独裁者』については、映像と音楽が一体となった表現の素晴らしさを、いっそう強く感じたのでしょう。
もちろん、これはあくまで藤山一郎自身の映画体験に基づく感想です。
『愛機南へ飛ぶ』は松竹が1943年に製作した航空映画で、当時としては特殊撮影を駆使した作品でした。
ひとりの歌手がスクリーンの世界に心を奪われた――その情景には、南方慰問の旅の意外な一面が表れています。
ところで、藤山は後年、『きらめく日本の歌声』というテレビ番組で、本人と同じく戦地体験を持つ灰田勝彦が「バタビアの夜は更けて」を歌うステージに同席していました。
その間奏では灰田が、バタビアの戦地にいる兵士が故国・日本にいる母や妹へあてた想いを台詞で語る場面があり、藤山は背後で涙を浮かべながらじっと聴き入っていました。
まさにこの当時の戦地での二人の体験が歌に重ねられた内容でもあり、視聴者としても胸が熱くなる瞬間でした。
まとめ
- 藤山一郎は南方慰問の途中、バタビアの陸軍情報部の管理部を訪れました。
- 管理部では、オランダ軍が残した映画やレコードなどが管理されていました。
- 藤山一郎が「参考のために」と映画を見せてもらうと、上映されたのがチャップリンの『独裁者』でした。
- 『独裁者』は当時の日本ではまだ公開されておらず、藤山一郎は思いがけない場所でこの作品を見ることになりました。
- 藤山一郎はスクリーンに映る映画に強く惹きつけられ、「これはすごい」と感じたことを記しています。
- 南方慰問の旅では、歌だけでなく、映画を通して戦時下の文化に触れるという意外な体験もしていました。
- 「バタビアの夜は更けて」は灰田勝彦と藤山一郎の戦地での体験が歌に重ねられた内容ともいえます。
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