藤山一郎は卒業後ビクター専属!なぜコロンビアではなかった?

藤山一郎といえば、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」などの大ヒットで知られる昭和歌謡のスターです。

しかし、その輝かしい歌手人生の出発点には、日本コロンビアとの意外な関係がありました。

東京音楽学校在学中、家の借金返済のためコロンビアでレコード吹き込みのアルバイトをしていたのです。

ところが卒業後、藤山が専属契約を結んだのは、コロンビアではなく日本ビクターでした。

なぜ藤山一郎は、恩義のあったコロンビアではなくビクターを選んだのでしょうか。

目次

藤山一郎はコロンビアで大ヒットを連発していた!

藤山一郎が東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に在学していたころ、家は膨大な借金を抱えていました。

そこで藤山は、日本コロンビアのレコーディング・ディレクター、加藤武二氏のつてを頼り、まず写譜の仕事を始めます。

その後、学校の校則に反してレコード吹き込みのアルバイトをするようになりました。

そして芸名「藤山一郎」で歌った「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」が大ヒットします。

しかし、学生の校外活動を禁じる校則に違反していたことが学校側に発覚し、藤山は一か月の停学処分を受けることになりました。

とはいえ、アルバイトの目的が遊興費ではなく、家の借金返済と学費のためだったこと、さらに学業成績が優秀だったことも考慮され、退学処分は免れています。

ところが停学によってレコード吹き込みができなくなり、藤山は再び経済的な苦境に立たされることになります。

そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、日本ビクターでした。

藤山一郎にビクターが差し伸べた意外な援助とは?

困窮していた藤山のもとを訪れたのが、日本ビクターレコード会社顧問の安藤兵部氏です。

安藤氏は藤山に対し、在学中は毎月資金援助をし、卒業後はビクターの専属になることを考えてほしいと申し出ました。

しかも、単純に藤山を縛り付けるような契約ではありませんでした。

外国へ留学することも認めるなど、藤山の将来を考えた柔軟な申し出だったといいます。

当時の藤山は、すぐにビクター入りを決めたわけではありません。

「考えておきます」と返事をしています。

なぜなら、藤山にはレコード吹き込みの機会を与えてくれたコロンビアへの恩義があったからです。

大ヒット曲を生み出すきっかけを与えてくれた会社だっただけに、卒業後はコロンビアの専属歌手になるつもりでいたのです。

ところが、藤山が期待していたコロンビアからは、なかなか具体的な話がありませんでした

その一方で、ビクターは経済的な支援を通じて藤山を支え続けました

この違いが、藤山の心を少しずつビクターへと傾けていったのです。

藤山一郎はなぜコロンビアではなくビクターを選んだ?

こうして藤山は東京音楽学校を卒業すると、日本ビクターと専属契約を結ぶ決断をします。

ビクターでの待遇は、それまでのアルバイトとは大きく異なっていました。

吹き込みがある時だけスタジオへ行くのではなく、月給を受け取り、社員として机を持つ一方、歌手としての専属契約による印税も受け取るという生活だったといいます。

さらに藤山は、単に歌うだけの歌手ではありませんでした。

発売するレコードの企画から音楽の内容まで、自分の考えを反映させることができたのです。

藤山が以前から望んでいたのは、流行歌だけではありませんでした。

格調高いセミ・クラシック調の音楽やジャズ、オペレッタ、シューマンなどの欧米の名曲、民謡、流行歌まで、幅広い音楽を紹介することを目指していました。

ビクターでは「赤い花」「僕の青春(はる)」「燃ゆる御神火」「ペール・ムーン」など、さまざまなジャンルの曲を吹き込んでいます。

コロンビア時代ほどの大ヒットには恵まれなかったものの、藤山にとってビクターでの3年間は、自分が理想とする音楽を追求するための重要な時期となりました。

つまり藤山のビクター入りは、単なる「コロンビアからの移籍」ではありません。

経済的に支えてくれたことへの感謝と、自分の音楽を自由に追求できる環境が重なった結果だったのです。

まとめ

  • 藤山一郎は東京音楽学校在学中、日本コロンビアでレコード吹き込みを行い、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」を大ヒットさせました。
  • 校則違反による停学後、レコード吹き込みができなくなった藤山に、日本ビクターの安藤兵部氏が在学中の資金援助を申し出ました。
  • 藤山は当初、恩義のあるコロンビアとの専属契約を考えていましたが、具体的な話が進まず、ビクターへ心が傾いていきました。
  • 卒業後は日本ビクターと専属契約を結び、歌手活動だけでなくレコードの企画や音楽内容にも関わりました。
  • ビクターでの3年間は、藤山一郎が**「皆が楽しめる音楽を紹介するプレーヤー」として生きる決意を固めた重要な時期だったのです。**

▼ 前回の記事はこちら

レジェンド歌手・藤山一郎シリーズ第5弾はこちら↓をご覧ください。

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