上原敏はニューギニアで生涯を終えた!最後に選んだ道とは?

「妻恋道中」「流転」「裏町人生」などの大ヒット曲で一世を風靡した上原敏は、戦時下に中国戦線への慰問も重ねた人気歌手でした。

しかし1942年、召集令状を受けた上原敏は、南方へ向かうことになります。

しかも、歌手として内地に残る道を示されながら、それを選びませんでした。

その後、上原敏は輜重部隊の一員として南方の戦地へ赴き、ニューギニアへと進みます。

そして最後には、誰にも大きく知られることなく、ニューギニアの地で生涯を終えることになったのです。

目次

上原敏は南方へ向かう道を選んだ!

前回の記事で紹介したように、上原敏への召集令状には手違いがありました。

しかし、入営後に歌手として内地に残るよう勧められても、上原敏はその申し出を断っています。

その背景には、自分だけが特別扱いされることを望まないという強い思いがありました。

上原敏の部隊は秋田県出身者が多く、同郷の兵士たちが南方へ向かう中、自分だけが内地に残ることはできないと考えたのです。

こうして上原敏は、人気歌手として華やかな舞台に立つ生活から離れ、軍務に就くことになります。

南方へ向かった上原敏の任務は、歌を歌う慰問だけではありませんでした。

輜重という後方部隊に属し、物資の輸送などを担う軍務に従事することになったのです。

上原敏はニューギニアの戦線へ赴いた!

南方へ渡った上原敏を待っていたのは、人気歌手としての生活とはまったく異なる厳しい環境でした。

ニューギニアは熱帯の密林が広がり、戦闘だけでなく、食料や物資の不足、病気なども兵士たちを苦しめた地域です。

そこで上原敏は、一人の兵士として戦地での生活を送ることになります。

中国戦線では慰問団の一員として将兵の前で歌い、歌によって兵士たちを励ましていた上原敏ですが、南方では立場が変わりました。

華やかなステージでスポットライトを浴びる「上原敏」と、軍服を着て戦地に生きる一人の兵士

その二つの姿の間には、あまりにも大きな隔たりがありました。

それでも上原敏は、南方での軍務を続けました。

そして戦局が厳しさを増す中、その足跡はニューギニアの密林へと入っていきます。

上原敏は誰の目にもとまらず生涯を終えた!

上原敏は、ニューギニアの地で生涯を終えました。

華やかな人気歌手として知られた人物でありながら、その最期は、凱旋という形で故郷へ帰るものではありませんでした。

評伝『流行歌手たちの戦争』の「声なき凱旋」では、上原敏について、人気流行歌手としての姿とは別に、「日本男児として国のために命を捧げる」という生き方を選んだ人物として描かれています。

また、上原敏が甥によく象の話をしていたというエピソードも紹介されています。

象は亡骸を人目にさらさないという話と、スポットライトを浴びた歌手の人生を重ね、「上原敏」という芸名のまま人生の幕を閉じるという象徴的な姿が描かれているのです。

人気歌手として多くの人に知られた上原敏でしたが、最後は大きな喝采に包まれることなく、遠いニューギニアの地で生涯を終えました。

それは自身の歌の「声なき凱旋」ともいえる、静かな最期でした。

まとめ

  • 上原敏は大ヒット歌手として活躍する一方、中国戦線への慰問を重ねた歌手でもありました
  • 召集後、内地に残るよう勧められましたが、上原敏は特別扱いを受ける道を選びませんでした
  • その後、輜重部隊の一員として南方へ赴き、ニューギニアの戦線で厳しい軍務に就きました
  • 上原敏は華やかなステージに戻ることなく、ニューギニアの地で生涯を終えました
  • 評伝では、その最期を「声なき凱旋」として描き、歌手・上原敏が最後に選んだ生き方を問いかけています
  • 「妻恋道中」などで人々を魅了した歌手の人生は、戦争によって大きく変わりました。その歌声と生涯は、今も昭和の流行歌史に刻まれています。

▼前回の記事(前編)はこちら↓をご覧ください。

▼特攻に志願した筆者の父と二葉あき子さんとの交流記については以下↓をご覧ください。

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