藤山一郎といえば、昭和を代表する国民的歌手の一人です。
ビクターで数々のヒット曲を生み出した後、藤山は意外にもテイチクへ移籍しました。
その背景には、かつての盟友・古賀政男からの熱烈な誘いがありました。
そして移籍後の一曲が、藤山一郎の人生を大きく変えるほどの大ヒットとなります。
今回は「東京ラプソディー」のヒットと、家の借財返済にまつわる知られざるエピソードを追います。
藤山一郎がテイチク移籍を決めた理由とは?

ビクターとの専属契約を終えた藤山一郎のもとには、さまざまなレコード会社から契約の話が舞い込んできました。
その中でも特に熱心だったのが、当時テイチクの重役としてレコード制作に携わっていた古賀政男でした。
古賀は藤山に「もう一度、ぼくとコンビを組もうじゃないか」と声をかけました。
二人には、コロンビア時代に「丘を越えて」「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」などのヒット曲を生み出した実績がありました。
しかし、藤山には一つの迷いがありました。それは当時のテイチクのレコードがビクターやコロンビアより安価で、やや格下というイメージを持たれていたことです。
人気歌手としての自分のイメージを考えれば、移籍は簡単な決断ではありませんでした。
それでも、古賀政男と再び組めば大きなヒットを狙える――。
藤山はそう考え、テイチクへの移籍を決断したのです。
藤山一郎の「東京ラプソディー」が空前のヒット!

テイチク移籍後、藤山一郎の第一作として用意されたのが、作詞・門田ゆたか、作曲・古賀政男による「東京ラプソディー」でした。
銀座、新宿、浅草など、当時の東京の盛り場を明るく歌ったこの曲は、フォックストロット調の軽快なメロディーも相まって大きな話題となります。
実は藤山自身も、発売当初は「どうか売れてくれますように」と祈るような気持ちだったといいます。
その理由の一つが、ヒットすれば家の借財を少しでも返済できるという切実な事情でした。
そして藤山の願いは現実になります。
「東京ラプソディー」は当時としては驚異的な35万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
さらにB面の「東京娘」も人気を集め、両曲を合わせると70万枚に達したと藤山は記しています。
街を歩けば、どこからともなく自分の歌が聞こえてくる――。
藤山にとって、それは歌手としての成功を実感する瞬間でもありました。
藤山一郎は印税で家の借財を返済した?

「東京ラプソディー」の大ヒットは、藤山一郎の家庭にも大きな変化をもたらしました。
藤山によれば、このレコードでは通常よりも有利な印税契約が結ばれており、両面で3%もの印税が入ったといいます。
そして、その収入を家の借財返済に充てたとしています。
それまで借金のことで沈んでいた母親も、藤山の成功によって明るさを取り戻しました。
さらには、目黒あたりに新しい家を建てようと土地を探し始めたというのです。
藤山自身も人気歌手らしい服装を整え、新車を買うことまで考えられるほど、生活に明るい兆しが見えてきました。
ただし、ここで注意したいのは、「東京ラプソディー」の印税によって借財の全額を完済したと断定できるわけではないことです。
藤山が自伝で語っているのは、ヒットによる収入を家の借財返済に回したという事実です。
つまり、この大ヒットは、長く一家を苦しめてきた借財問題を大きく改善する転機になったと見るのが適切でしょう。
さらに「東京ラプソディー」の人気はレコードだけにとどまりません。
PCL(東宝の前身)によって同名映画も製作され、藤山自身が主演として出演しました。
演技については本人も控えめに評価していましたが、歌手・藤山一郎の人気そのものが映画の観客を引きつけたのです。
「東京ラプソディー」は、藤山一郎にとって単なるヒット曲ではありませんでした。
古賀政男との再タッグを成功させ、テイチクの存在感を高め、そして何より、家族の経済的な苦境から抜け出す大きなきっかけとなった一曲だったのです。
まとめ
- 藤山一郎はビクターとの専属契約満了後、古賀政男の誘いを受けてテイチクへ移籍しました。
- 当時のテイチクにはやや格下というイメージがありましたが、古賀政男との再タッグが移籍を決断する大きな理由となりました。
- テイチク第一作の**「東京ラプソディー」は35万枚を売る大ヒット**となり、B面の「東京娘」も人気を集めました。
- 藤山は「東京ラプソディー」などによる印税を家の借財返済に充てたと自伝で語っています。
- 「東京ラプソディー」の成功は、藤山一郎の歌手人生だけでなく、一家の経済的な苦境を好転させる大きな転機になりました。
- さらに同名映画にも主演し、藤山一郎の人気はレコードから映画へと広がっていきました。
▼ 前回の記事はこちら
レジェンド歌手・藤山一郎シリーズ第7弾はこちら↓をご覧ください。
画像1アイキャッチ.jpg)

コメント