「東京ラプソディー」に続き、藤山一郎が大ヒットさせた古賀メロディー「青い背広で」。
実はこの曲、藤山一郎が着ていた一着の背広が作詞のきっかけになったといわれています。
ところが藤山一郎本人によれば、その背広は「青」ではなく、なんとダーク・グリーンでした。
では、なぜ作詞家・佐藤惣之助は、それを「青い背広」と表現したのでしょうか。
そこには、昭和初期の日本人が持っていた独特の色彩感覚と言葉の文化が隠されていました。
藤山一郎の「青い背広で」は一着の背広から生まれた!
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「青い背広で」が生まれたきっかけについては、藤山一郎自身の自伝に興味深いエピソードが残されています。
ある日、藤山一郎がテイチクのスタジオを訪れた際、ダーク・グリーンの背広を着ていました。
そこに居合わせたのが、作詞家の佐藤惣之助です。
佐藤惣之助は藤山の姿を見るなり、「その青い背広、なかなか似合うじゃないか」と声をかけたといいます。
藤山はすぐに、「いえ、これは青ではありません。ダーク・グリーン、濃緑で……」と答えました。
しかし、佐藤は色の違いを気にする様子もなく、「確かによく似合う」と褒め、さらに「それで一曲いけそうだ」という趣旨の言葉を口にしたそうです。
この何気ない会話が、後の「青い背広で」につながっていきます。
つまり、この曲は机の上で考えられたテーマではなく、若き藤山一郎の姿を見た瞬間の印象から生まれた歌だったのです。
藤山一郎が着ていた背広は本当に青ではなかった!
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では、佐藤惣之助が見た「青い背広」は、実際には何色だったのでしょうか。
藤山一郎の自伝によれば、答えはダーク・グリーン、つまり濃い緑色です。
しかも、このエピソードにはもう一つ面白い背景があります。
当時の佐藤惣之助は名うての酒豪として知られ、外出時には和服姿が多かったとされます。
そして、この日もすでに酒を飲んでおり、かなり酔っていたというのです。
そのため、藤山が着ていたダーク・グリーンを「青」と見間違えたのではないか、と藤山自身は振り返っています。
しかし、単純に「酔っていたから間違えた」と考えるだけでは、この曲のタイトルを十分に説明できません。
実は当時の日本語には、現在よりも「青」と「緑」の境界が曖昧だったという文化的背景がありました。
「青葉」「青草」など、現代の感覚なら緑色を指すものにも「青」という言葉が使われています。
「青信号」という呼び方も、その名残の一つです。
そのため、佐藤惣之助が濃い緑色の背広を見て「青い背広」と表現したことは、当時の日本語の感覚からすれば、それほど不自然なことではなかったと考えられます。
藤山一郎の「青い背広で」が大ヒットした理由とは?
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佐藤惣之助が作詞し、古賀政男が曲をつけた「青い背広で」は、藤山一郎の代表曲の一つとなりました。
この曲が人々の心をつかんだ背景には、「青い背広」という言葉が持つ若々しさや爽やかさもあったのではないでしょうか。
昭和初期、背広は都会的で新しい時代を象徴する服装の一つでした。
そこに「青」という言葉が加わることで、若者らしい清新さや軽快なイメージが生まれます。
藤山一郎自身も当時は20代半ばの若さでした。
「東京ラプソディー」で一躍人気歌手となった藤山にとって、「青い背広で」は都会的な青年歌手というイメージをさらに強める一曲になったといえるでしょう。
興味深いのは、歌のタイトルに使われた「青」が、必ずしも現代の私たちがイメージする鮮やかなブルーを意味していないことです。
佐藤惣之助が見たのは、実際には濃い緑色の背広でした。
それでも「青い背広」という言葉を選んだことで、単なる服の色ではなく、若さや爽やかさを感じさせる印象的なタイトルになりました。
一着の背広をめぐる何気ない会話が、やがて昭和を代表する流行歌へと発展したのです。
まとめ
- 「青い背広で」は、藤山一郎がテイチクのスタジオで着ていた背広が作詞のきっかけになったとされています。
- 藤山一郎の自伝によれば、その背広は青ではなく、ダーク・グリーン(濃緑)でした。
- 佐藤惣之助は藤山の背広を「青い背広」と表現し、それをきっかけに一曲の着想を得たとされています。
- 当時の日本語では、「青」が現在よりも広い色の範囲を表し、緑系の色にも使われていました。
- 「青い背広」という言葉には、単なる色だけでなく、若さ・爽やかさ・都会的なイメージが込められたと考えられます。
- 一着の濃緑の背広から生まれた「青い背広で」は、藤山一郎と佐藤惣之助、そして古賀政男を結びつけた名曲として今も語り継がれています。
▼前回の記事はこちら↓をご覧ください。

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